西和彦と孫正義が和解。MSXが真の統一規格に。(1983年6月27日)

そして27 日がやってきた。先に開かれるのはソフトバンク側の記者会見である。集まったマスコミも「天才」西和彦と「神童」孫正義の直接対決の行方を注目していた。しかし、ここで孫正義から意外なひと言が飛び出した。

「我々もMSX を支持する」

前日の夜9 時頃、西和彦と孫正義は、松下電器の前田一泰氏の仲介によってホテルで会談をもっていた。若き二人はカツ丼を食べたり、床にごろごろ転がりながら話を続けた。この会談は日付をはさみ、午前1 時頃まで続けられたとされる。ここで西和彦は、ハードウェアのロイヤリティを値下げすること、ソフトウェアのロイヤリティを無料にすることなどの和解案を提示したと言われている。この和解によって、MSX 規格向けのソフトウェアはどのメーカーも自由にロイヤリティなしで開発できることになった。また、開発仕様も事実上のオープンとなった。

孫正義の記者会見に続いて開かれたMSX 規格の説明会には、100 社以上のソフトウェアメーカーが集まったとされる。1983 年6 月27 日。この日、西和彦と孫正義による約10 日間にわたる戦争は終結し、MSX は真の統一規格となったのである。

もっとも、このエピソードは単純な美談として解釈するわけにもいくまい。なぜソフトウェアのロイヤリティを「無料」にするという思い切った妥協案を出すことができたのか。また、この会談にはもう一人の当事者であるはずのビル・ゲイツの名前が登場しない。いくら西和彦はマイクロソフト社の副社長を兼務しているとはいえ、ビジネス上これほどの重要な決定をひとりで決裁できるというのは意外だとしかいうほかない。

ここからは仮説となるが、この会談が意味するものは、MSX 規格が実質的にアスキーが主導したものであり、マイクロソフトの関与する範囲は狭かったのではないか。もしくは、マイクロソフトの興味は主にハードウエア側のロイヤリティに注がれており、ソフトウェアについてはさほど興味がなかったのではないか。そういった理由が考えられる。

とにかく、世界統一規格としてのMSX はここに成立した。ここから各メーカーとのライセンス契約が結ばれ、ハードウェアの設計・製造が開始される。

 

日米二社が激しく対立していた家庭用の低価格パーソナルコンピューターの規格統一問題が二十七日、一転して和解し、パソコンソフトウエアでは最大手の米国マイクロソフト社の提案に一本化されることになった。マイクロソフト社の日本における業務提携先のアスキーの西和彦副社長と、これに対抗していた日本ソフトバンクの孫正義会長のトップ会談がこの日開かれ、両社の対立点であった契約金問題が解決したことがきっかけになっている。

この規格統一問題ではマイクロソフト社が“仕掛け人”となって日本電気、松下電器産業など十四社に働きかけ「MSXホームパソコン」を提唱したが、ソフトウエア製作メーカーに多額のロイヤリティー(使用料)を請求したりしたため、有力メーカーのシャープ、ソードがこの統一案呼びかけに参加しないと表明していた。こうした業界の不満の声をバックに、パソコン向けソフト卸売り最大手の日本ソフトバンクが基本ソフトウエアに米国デジタルリサーチ社、ソード社が開発したものなどを採用した独自の統一案を発表、マイクロソフト社と対立していた。

二十七日開かれたトップ交渉で両社が和解したのは、マイクロソフト社側が批判の強かった契約金問題で大幅譲歩したことがきっかけになった、という。

両社の合意内容は

・マイクロソフト社はソフトウエア製作メーカーにロイヤリティーを請求せず、これまでのプログラム言語と同様に無料公開の原則を守る

・ソフトウエアプログラムを記憶させたROMの開発装置など機器仕様を全部公開する

――などで、日本ソフトバンクは「パソコン市場の健全な発展を図るため訴えてきたわれわれの主張が認められた」(大森社長)と「MSXホームパソコン」の支持を表明した。

【出典】日本経済新聞 1983年6月28日付

和解内容の詳細は明らかになっていないが、業界筋によると「マイクロソフトに入る使用料などが当初の20億円から5億円程度になるほど厳しいもの」といわれている。

【出典】日本経済新聞 1983年7月15日付

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