衝撃の29,800円。カシオ「PV-7」発売 (1984年10月)

「パソコンが29,800円になると、ブタが災難に遭います。」

そんなキャッチコピーのCMとともにMSXに新規参入したのが、価格破壊で知られるカシオであった。

カシオは他のMSX陣営がパソコンを意識していたのに対し、明確にファミコンをライバルと定めていた。かつて、自らもゲーム機「PV-1000」「PV-2000」を出したが成功に至らなかった経験に裏打ちされている。

RAM容量は最低限の8KB。アスキーで開かれたMSX戦略会議で、RAMの最低容量を16KBにする案が出たが強硬に反対したという。

なお、カシオは1983年6月16日に開かれたMSX規格発表の記者会見には出席していない。MSXへの参入を正式に表明したのは、翌7月のことである。

MSX参入メーカーこぼれ話。NECから、あのサンリオまで!?:MSX30周年 – 週刊アスキー (ascii.jp)

 

「家庭用パーソナルコンピューターの規格統一機種MSXホームパソコンは家電各社から年末をメドに一斉に発売されるが、ソニーがそのトップバッターになろう。またMSXグループに新たにカシオ計算機が参加申請してきた」。

パソコンのソフトウエア(利用技術)の規格統一をめぐる競争で主導権を握った米国マイクロソフト社の西和彦副社長はこのほど日本経済新聞記者と会見し「MSXパソコンは今後三年間に日本市場で二百万台以上販売されるだろう」と強気の見通しを述べるとともに、MSX構想提唱のねらいと今後の展望を明らかにした。

西副社長によるとこの構想に賛同を表明している企業は、このほどカシオ計算機が参加を申し込み、現在十五社。ファミリーにはどの企業でもいいというのではなく「実力がある企業にのみ門戸を開いている」という。

(中略)

なお、MSX構想に当初、反対していたわが国ソフト流通最大手、日本ソフトバンクと一転して和解したことについては「二十数回にわたるトップ交渉で我々が企業に要求していた契約金、特許権使用料(二十五万ドルといわれる)の引き下げに同意、和解成立した。日本ソフトバンクはマイクロソフト社はソフト開発会社から使用料を徴収すると批判したが、我々は過去も現在もこうしたことを要求したことはない」とその理由を初めて明らかにした。

【出典】日経産業新聞 1983年7月9日付

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