2000年3月10日、マイクロソフト(以下MS)がゲーム機市場に参入することを発表。「Xbox」と名付けられた。
翌2001年(日本では2002年)に発売されるXbox。MSが発売する「X」がついたハードという意味で、MSXを連想する方がいるかもしれない。
MSがゲームへの参入を決めたのは、1999年にソニーが発表した「プレイステーション2」に刺激を受けたからとされる。
MSはゲーム機市場を学ぶために、日本のゲームメーカーに接触。業務提携や合弁会社の設立、さらには買収も検討していたという。
その中のひとつにセガがあった。セガは1998年に「ドリームキャスト」を発売したが売れ行きは不振であり、経営危機に陥っていた。
ドリームキャストはOSに「WindowsCE」を採用していることから、セガはMSに対してXboxとドリームキャストのプラットフォームを統一することを提案したという。
当時の日本マイクロソフト社長だった古川亨氏によると、セガの親会社であるCSKの大川功会長が熱心に動いていたが、ネット接続の必要性の有無で見解の相違があり、実現しなかったという。
セガとMSの交渉が正式に破談となったのは、Xboxが正式発表されるほんの数日前だったとされる。MS社内ではセガを買収する案も検討されていたとのこと。
CSKの大川氏が亡くなられる前に何度もゲイツを訪ね、DreamCastの互換性をXBOXに組込むのであれば、セガのタイトル資産をXBOXに提供し、ドリキャスのお客様への道筋を作りたいと切望されていた。大川氏がネットへの接続は必須と主張、MSはネット接続はいらないと破談に。
— 古川 享 (@SamFURUKAWA) January 11, 2010
Xboxが発表される3日前の3月7日には、西和彦氏が渡米し、ビル・ゲイツ氏と接触をはかったとされる。
アスキーは経営不振からセガと同じCSKの傘下となっていた。また西氏はその責任をとりアスキー社長を辞任し取締役に退いていた。CSKの大川氏は、西氏をセガの社長補佐とし、ドリームキャストの立て直しにあたらせていた。
古川亨氏もプラットフォーム統一に積極的だったとされる。かつてともにアスキーを創業し、その後袂を分かった西氏と古川氏がこの件では共闘しており、「21世紀のMSX」を作ろうとしていたのである。
【参考】日経エレクトロニクス 2000年4月10日号
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