MSX規格誕生 (1983年6月16日)

●日本の家電メーカーが一同に結集

1983 年6 月16 日。東京の経団連会館である記者会見が開催された。「MSX 互換性のあるホームパーソナルコンピュータシステム発表会」と題されたこの記者会見を取り仕切るのは、当時弱冠27 歳だった若者二人であった。ひとりは米マイクロソフト社の創業者であり社長のビル・ゲイツ。後に「Windows」で世界を席巻し、億万長者となったその人である。もうひとりはマイクロソフトの副社長であり、自ら創業したアスキーの副社長でもある西和彦であった。

驚きだったのは、この二人と並んで日本のメーカー14 社(および米1 社)の役員クラスがこの記者会見に同席したことである。キヤノン、京セラ、三洋、ゼネラル、ソニー、東芝、日本楽器製造(ヤマハ)、日本電気(NEC)、ビクター、日立、富士通、パイオニア、松下電器(以上50 音順)。これらのメーカーを20 代の若者が束ねたのである。

「MSX」とは、記者会見のタイトルにあるように、互換性をもつコンピュータの規格である。互換性とは、簡単に言えば共通のソフトウェアが動作することである。つまり、MSX の規格にのっとって製造されたコンピュータであれば、どのメーカーのものでも同じソフトウェアが使えるというわけだ。Windows を搭載したパソコンが圧倒的なシェアを占める現在においては、この概念はいささかぴんと来ないかもしれない。もちろん現在でもMacOSやLinuxといった異なるOSを搭載したパソコンがあり、それらの間では互換性が存在しないのだが、当時はこれよりも複雑な状態であった。それぞれのメーカーが独自のパソコンを発売しており、メーカーが異なれば互換性がないという状態だった。それどころか、同じメーカーのパソコンでも異なれば互換性がないという状態もごく当たり前のようにあったのである。

とはいえ、そんなパソコンたちにもひとつの共通点があった。それは「BASIC」というプログラミング言語を搭載していたことと。そのBASIC の多くをマイクロソフトとアスキーが開発・供給していたという点である。両社からみれば、各メーカーや機種ごとに、それぞれのハードウェアの仕様をふまえながらBASIC を開発していたことになる。

この状況は、ソフトウェアを開発するメーカーから見れば必ずしも好ましいものではなかった。機種ごとにそれぞれ異なるソフトウェアを開発する必要があり、「移植」と呼ばれる別の機種向けにプログラムを改造する作業が発生した。また、マイクロソフトとアスキーにとっても、最初こそは異なる機種に対応してBASIC を開発することに旨みがあったのかもしれないが、パソコンに参入するメーカーが増加するにつれてこの作業はどんどん重荷になっていき、依頼された案件の一部を断わらざるを得ないほどの状況に陥っていた。この状態を打破するためにも、複数のメーカーにまたがった互換性をもたせるパソコンを開発する――という構想は非常にメリットをもたらすものであった。当時のパソコン業界で「御三家」と称されたNEC・シャープ・富士通の3 社のうち、シャープを除く2 社が記者会見に出席したことにも大きな意味があるといえよう。互換性をもたせるということは、すなわちすでに大きなシェアを持っているメーカーにとってはその旨みを自ら捨てることになるからである。逆に、シェアが低迷していたり、新規参入を目論むメーカーにとっては新たな土俵で戦うことができるチャンスであった。

(注: NEC は記者会見に参加したが「MSX 規格に賛同はするが参入はしない」旨の発言を行い、結局参入することはなかった。)

●「ホームコンピューター」という理念

改めて、記者会見のタイトルを振り返ってみると、MSX は「ホームパーソナルコンピュータシステム」の規格であると銘打たれている。パーソナルコンピュータという言葉は現在では「パソコン」「PC」と略されごく一般的に使われているため、ここでは「ホーム」という言葉に注目し、MSXを「ホームコンピューター」として定義する。実際、ホームコンピューターという言葉は当時の新聞・雑誌にも多く使われた用語である。

ホームコンピューターとは何か。簡単に言えば、主に家庭での利用を目的として開発された、低価格(おおむね10 万円以下)のパソコンである。企業などビジネス用途で使われるパソコンが高性能かつ高価であるのに対して、ホームコンピューターはそこそこの性能でありながらも安価である。また、高価なパソコンが専用のモニターを必要とするのに対して、ホームコンピューターは家庭用のテレビに接続して使えることも特徴であった。しかし、ホームコンピューターという言葉に込められた意味合いはそれだけではない。まさに「家庭にコンピューターが入ってくる」ということ自体に大きな意味と夢が込められていたのだ。

ひとつは、ホームコンピューターを軸として、家庭にあるさまざまな家電が制御されるという構想である。例えば、冷蔵庫の状態を管理して、ドアが開けっ放しになっていたら警告を発してみたり、決められた時間に炊飯器のスイッチを自動的に入れてご飯を炊いてみたり――そういった操作がホームコンピュータを通じて簡単にできるようになるといった構想である。もっとも、こうした機能は現在の家電に普通に備えられている。コンピューターが劇的に安価・小型化されたために、ホームコ
ンピューターという軸がなくても、それぞれの家電にコンピューターが内蔵されることが当たり前になったからだ。とはいえ、コンピューターそのものが一般的でなかった時代において、この構想はそれなりに大きな意味を持っていたのである。

もうひとつは、ホームコンピューターが通信ネットワークの端末になるという期待である。当時の電電公社はINS (Information Network System:高度情報通信システム) と呼ばれる、音声による電話に続く新たな情報網の開発を進めていた。また電電公社が1985 年に民営化されることが決定し、INS に民間企業が参入可能となったため、にわかに通信ネットワークを利用したビジネスに注目が集まっていた。そのために必要な端末として、ホームコンピューターが期待されたわけである。当初はまだ性能が低かったが、将来的により性能の高い端末が「一家に一台」のレベルで普及するようになれば、例えば当時では夢のような技術であった「テレビ電話」が実現したり、家にいながらにして通信販売が楽しめるような世界が実現するのである。

すでにお気づきであろうが、令和の時代にいる私たちはインターネットという当時知られていなかった技術の普及によって、このような世界を現実のものとして体験している。またスマートフォンなどの携帯端末やIoTにより、家の中だけではなく、外出先でもさまざまなサービスを受けることが可能となっている。使われる端末や技術は異なっていても、当時描かれた未来図はきちんと実現しているというわけだ。

こういったホームコンピューターの理念を(将来的に)実現するためにさまざまなメーカーがさまざまな機種を発売していたのが1983年当時の情勢である。そして、そこに登場したMSX はホームコンピューターの決定版と言ってよい存在であった。

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