盛田昌夫氏(元SME社長)、盛田厚氏 (元SCE取締役)

盛田昌夫氏はソニー創業者・盛田昭夫氏の次男、厚氏は甥にあたる。

 

■盛田昌夫氏

1981年ソニー入社。1997年執行役員常務。1998年ソニー・ミュージックエンタテインメントに出向し、2003年代表取締役。

1983年初め、すでに松下電器とともにMSXの試作機の開発を始めていた西和彦氏は、銀座・ソニービルでオーディオ事業部長の出井伸之氏と会談。試作機に関心を持った出井氏は、直属の部下であった盛田昌夫氏を連れ、南青山のアスキーを訪問した。

2月にはソニービルで松下電器との会談が行われた。この際、松下の前田一泰氏は「MSXのMSは、松下のMとソニーのS」と出井氏を口説いたという。

当時ビデオデッキにおいて「VHS vs. ベータマックス」の戦争を繰り広げていた両社が手を組んだ歴史的瞬間であった。

 

次に、訪問したのはソニーだった。

創業者の盛田昭夫さんの次男の昌夫さんを知っていたので、プロトタイプを抱えてお願いに行った。松下電器とソニーは、「ビデオ戦争」で“交戦”状態にあったが、僕は、あえてそうしたのだ。

当時、後にソニーの社長になる出井伸之さんが事業部長だったが、ソニーはどうすべきか相当迷っていらっしゃったと思う。その迷いを吹っ飛ばしてくださったのが、大賀典雄社長だった。大賀社長は、松下電器の城阪副社長に電話をして相談をされたようだ。そして、「松下はやりますよ」という城阪さんの発言によって、ソニーも統一規格に参画することを決断されたと聞いている。

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後に昌夫氏は、オーディオ事業部にてソニーのMSX部門を統括する立場となる。MSX事業は赤字だったとインタビューで語っている。

僕は(元ソニー会長の)出井(伸之)さんの下でオーディオ事業部にいました。1980年代後半だったかな、「MSX」という家庭用パソコンを手がけたんだけど、大変な赤字になったんです。

大賀さんに呼ばれてね、「お前のビジネスは赤字が伸びてばかりだけど、どういうこっちゃ」と怒られてね。「責任者は廊下の真ん中歩くな。廊下の真ん中は利益を出している人が歩くんだ」と言われて。それ以来、廊下は端を歩くんだという認識がすごく染み付いています。声も体も大きいから迫力があるんです。しかし、そこから「プレイステーション」などデジタル機器の技術者が育ったんですけどね。

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■盛田厚氏

1982年ソニー入社。国内営業に配属され、MSX「HitBit」シリーズの営業を担当した。

2006年にソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)入社。2012年取締役に就任。

2014年からはソニー・コンピュータエンタテインメント ジャパンアジア(SCEJA)のプレジデントに就任。2019年に退任。

好きなゲームは「ドラゴンクエスト」。MSX版を遊んでいたという。

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